首筋硬直
2006年2月28日県民性で言うと、栃木県の女性は「結構明るい。控えめに見えても芯は強く,外見も女性らしいというより男っぽく見える。行動力があり,バイタリティもあって,たくましいタイプが多い。お金にも細かくないから,つきあいやすい」らしい。
一方男性は「一言で言うと『いぶし銀』タイプ。恥ずかしがり屋が多く話し下手だから,最初の印象は良くないが,つきあっていくと味わいの出る人が多い。正直で真面目、律儀で堅実だが,慎重すぎて積極さに欠けるきらいがある。県北は保守的,宇都宮など県央は自意識が強く,県南はフランクな人が多い」らしい。
栃木の県民性はシャイで消極的ってよく聞きますけど、当たってますね。一昨年くらいに学校に関西出身の方が講演に来たんだけど、その人が「○○の人、手上げてみて」みたいな感じでやったときに、ほとんど手が上がらなかったのね。したら、「みんな恥ずかしがりやだなー!もっと自己主張しようよ!」みたいなこと言ってました。まさに県民性。
明日、久々の学校です!キャー!←姫の呼吸音じゃないですよ。
卒業式予行。明後日もう卒業式ですわ。やばい、全然実感湧かない。なんかね、自由登校入ってから皆と過ごさないことに慣れてますね。胸が苦しくなるような寂しさはない。でも、それは「また学校で会える」っていう意識があるからであって。実際卒業しちゃったら、もう学校で制服着てわーわー集まることなんかないじゃないですか。そう思うと、卒業したら寂しいだろうなってことは想像できるんだけども。実際明日学校行かないと、この寂しさってのは実感にはならないんだろうな。
自分が進学で家を離れることになってからよく思うんだけど、例えば家族とか友達と過ごしてて、「楽しいなー」とか「幸せだなー」「平凡だなー」なんて感じると、その瞬間ものすごい寂しさに襲われるんだよね。離れたら一生会えないとかじゃないのに。これは多分、そういう幸せな瞬間が過ぎてくことへの寂しさなんだろうね。なんて言うか、もう同じような瞬間には会えないんじゃないかっていう不安にも似た寂しさ。それをよく感じるようになりました。だから私、前よりも家族とか友達を大事にしてるように思う。家族の温かさに敏感になったと思うし、友達とかとほんと腹割って話しておきたいとか思うもん。今の私はどんなかっていうのを自分でも分かりたいし、分かってもらいたいし。どっちかっていうと、人と話してるときに「あ、自分ってこういうやつなんだ」って分かるときが多いから。
そんなわけで、卒業したらいろんなことが徐々に徐々に変わっていきます。私は18年間過ごした家を離れて、栃木を離れて、まったく未知の場所で、毎日が未知なことだらけの生活を送るのでしょう。新しい物事や人に囲まれて、新しいことに挑戦して。それが楽しみでもあり、不安でもありって感じですね。
今付き合ってる友達とも、今以上に会えなくなる。だからこそ、今ってもんを大切にしていかなきゃならんのではないのかと、最近よく思います。
いろんな人に触れておこうとか、いろんな物を見ておこうとかいつも思います。いろんな自分に会っておこうとか。
なんかまとまんねぇな。とりあえず卒業式予行、頑張ります。
明日は後輩ちゃんたちが送る会してくれるらしいしw
今日はね、体が満足するまで寝ました。それでも12時には起きたんだけどさ。
その後姫と公園に散歩に行って、母と買い物に行って。買い物ね、行ったはいいけど収穫なしです。高いんだもん。お給料もらったけど、私の金銭感覚は狂ってないようです。よかった。
まぁ収穫がなかったけどいろいろ必要なので、また行くとするか。携帯も変えよう。
今日言いたいこと。
「変わっちゃいけないもんを守るために変わることが必要なのではないでしょうか」
これね、私がかつてファンだった男性デュオの歌詞にインスパイアされて書いたことなんだけど。「SOLID DREAM」って曲。いい曲よ、これ。この曲が入ってるシングルのリードトラックがものっっすごい好きでね。
まぁそれはいいんだけど。素敵じゃないですか?変わっちゃいけないものを守るために変わる。
大切なもんが変わって欲しくないなら、自分が変わってみればいいこともあるし、または皆で変わっていかなきゃいけないこともある。
なんで唐突にこんなこと書いたかというと・・・エルレのBBSを見た率直な感想です。エルレ好きで、BBSに関与してない私の第三者的かつ客観的意見。でも自分だって変わんなきゃいけないとこは一緒に変わろうと思うよ。
明日は学校行ってバイトです。教習は休みにしました。
さて、寝ます。
ではまた。
一方男性は「一言で言うと『いぶし銀』タイプ。恥ずかしがり屋が多く話し下手だから,最初の印象は良くないが,つきあっていくと味わいの出る人が多い。正直で真面目、律儀で堅実だが,慎重すぎて積極さに欠けるきらいがある。県北は保守的,宇都宮など県央は自意識が強く,県南はフランクな人が多い」らしい。
栃木の県民性はシャイで消極的ってよく聞きますけど、当たってますね。一昨年くらいに学校に関西出身の方が講演に来たんだけど、その人が「○○の人、手上げてみて」みたいな感じでやったときに、ほとんど手が上がらなかったのね。したら、「みんな恥ずかしがりやだなー!もっと自己主張しようよ!」みたいなこと言ってました。まさに県民性。
明日、久々の学校です!キャー!←姫の呼吸音じゃないですよ。
卒業式予行。明後日もう卒業式ですわ。やばい、全然実感湧かない。なんかね、自由登校入ってから皆と過ごさないことに慣れてますね。胸が苦しくなるような寂しさはない。でも、それは「また学校で会える」っていう意識があるからであって。実際卒業しちゃったら、もう学校で制服着てわーわー集まることなんかないじゃないですか。そう思うと、卒業したら寂しいだろうなってことは想像できるんだけども。実際明日学校行かないと、この寂しさってのは実感にはならないんだろうな。
自分が進学で家を離れることになってからよく思うんだけど、例えば家族とか友達と過ごしてて、「楽しいなー」とか「幸せだなー」「平凡だなー」なんて感じると、その瞬間ものすごい寂しさに襲われるんだよね。離れたら一生会えないとかじゃないのに。これは多分、そういう幸せな瞬間が過ぎてくことへの寂しさなんだろうね。なんて言うか、もう同じような瞬間には会えないんじゃないかっていう不安にも似た寂しさ。それをよく感じるようになりました。だから私、前よりも家族とか友達を大事にしてるように思う。家族の温かさに敏感になったと思うし、友達とかとほんと腹割って話しておきたいとか思うもん。今の私はどんなかっていうのを自分でも分かりたいし、分かってもらいたいし。どっちかっていうと、人と話してるときに「あ、自分ってこういうやつなんだ」って分かるときが多いから。
そんなわけで、卒業したらいろんなことが徐々に徐々に変わっていきます。私は18年間過ごした家を離れて、栃木を離れて、まったく未知の場所で、毎日が未知なことだらけの生活を送るのでしょう。新しい物事や人に囲まれて、新しいことに挑戦して。それが楽しみでもあり、不安でもありって感じですね。
今付き合ってる友達とも、今以上に会えなくなる。だからこそ、今ってもんを大切にしていかなきゃならんのではないのかと、最近よく思います。
いろんな人に触れておこうとか、いろんな物を見ておこうとかいつも思います。いろんな自分に会っておこうとか。
なんかまとまんねぇな。とりあえず卒業式予行、頑張ります。
明日は後輩ちゃんたちが送る会してくれるらしいしw
今日はね、体が満足するまで寝ました。それでも12時には起きたんだけどさ。
その後姫と公園に散歩に行って、母と買い物に行って。買い物ね、行ったはいいけど収穫なしです。高いんだもん。お給料もらったけど、私の金銭感覚は狂ってないようです。よかった。
まぁ収穫がなかったけどいろいろ必要なので、また行くとするか。携帯も変えよう。
今日言いたいこと。
「変わっちゃいけないもんを守るために変わることが必要なのではないでしょうか」
これね、私がかつてファンだった男性デュオの歌詞にインスパイアされて書いたことなんだけど。「SOLID DREAM」って曲。いい曲よ、これ。この曲が入ってるシングルのリードトラックがものっっすごい好きでね。
まぁそれはいいんだけど。素敵じゃないですか?変わっちゃいけないものを守るために変わる。
大切なもんが変わって欲しくないなら、自分が変わってみればいいこともあるし、または皆で変わっていかなきゃいけないこともある。
なんで唐突にこんなこと書いたかというと・・・エルレのBBSを見た率直な感想です。エルレ好きで、BBSに関与してない私の第三者的かつ客観的意見。でも自分だって変わんなきゃいけないとこは一緒に変わろうと思うよ。
明日は学校行ってバイトです。教習は休みにしました。
さて、寝ます。
ではまた。
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